第1章  居場所のなかった幼少期から、アートが開いてくれた世界

馴染めなかった学校、そしてアートとの出会い
幼少期は、とても繊細でおとなしい子どもでした。
人前で話すことが苦手で、幼稚園や学校という集団生活の場は、当時の私にとって居心地の良い場所ではありませんでした。
ハキハキとした子どもらしさを求められる学校では、劣等感と自信のなさから周囲に馴染めず、仲間外れにされたり、ただじっと耐えるしかない孤独な時期もありました。
そんな私の世界がガラリと変わったのは、高校で美術部に入ってからです。
そこで初めて、自分の居場所を得たような気がしました。生涯の宝物となるかけがえのない友人たちに出会いました。

友人たちとの温かい関わりを通して、私は「自分自身の良さ」を少しずつ発見できるようになり、自分の内側を表現することの本当の喜びを知ったのです。

奇跡に支えられた大学時代と、胸に秘めた夢
「高校で美術を教えたい」
高校での経験を経て、私の胸にはそんな夢が芽生えていました。
夢を叶えるため、4年制の芸術大学への進学を希望します。
経済的に全く余裕のない家庭環境でしたが、行きたいという思い一心で大阪芸術大学への合格を果たしました。
いつ中退を余儀なくされてもおかしくない状況の中、親が借金をしながら繋いでくれた、奇跡のような4年間。
自由な校風と、寮生活で得た温かい友人たちに囲まれ、大学生活は本当に楽しいものでした。
守られたレールよりも、自分自身の足で歩くこと
私の心には小さな違和感がありました。
「学校の教員になって、定年まで勤める」という一般的な未来に対して、どこか息苦しさを感じていたのです。
自分のような子どもに自信を持ってもらいたい
若いうちに色々な経験をしたい。その強い想いが、私の表現者としての、そして人生の根底にありました。

それは、いつしか「いつか絵画教室をしたい」と思うようになっていました。自分と同じような子どもたちが、自信を持って生き生きできるように助けたい、という気持ちからでした。

そのためには、いろんな経験と知識、技術を身につけたいと、漠然とした思いがありました。臨時教員として自由に夢に向かってスキルを磨きたいと思いました。