特別支援学校での運命的な出会いと結婚
27歳の時、特別支援学校への常勤講師の依頼が舞い込みました。
直感的に心が動き、赴任することを決めました。
直感的に心が動き、赴任することを決めました。
そこは重度の肢体不自由児が通う学校でしたが、子どもたちと深く関わるうちに、「私の本当の仕事はこれだ」と魂が震えるような確信を得たのです。
そして、この学校で同じ志を持つ夫と出会い、結婚しました。
子どもたちとの時間は本当に楽しく、その後は中学校の特別支援クラスなども受け持つようになりました。
次々と訪れる試練と、画風の開花商用デザインの現場で磨かれた技術
幸せの一方で、過酷な現実も私を襲いました。
親が自己破産をし、私自身もその渦に巻き込まれることになったのです。
親が自己破産をし、私自身もその渦に巻き込まれることになったのです。
針の筵のような気持ちで過ごす中、私の人生に新たな「表現の場」が訪れます。
ある飲食店が募集していた「書と絵が描ける人」という広告を目にし、面接を受けて仕事に就くことになったのです。
そこでは、日本料理に調和する植物や食材の絵、お品書き、そして書の執筆から店内の装飾まで、あらゆるクリエイティブを任されました。
予算や経費という現実と向き合いながら、お客様に喜ばれる商業デザインを生み出す仕事は、決して簡単なことではありませんでした。しかし、サービス業の中で自分の技術を極めていく日々は、純粋に楽しいものでもありました。
日本的な描き方や、空間を彩る書の技術など、現在の私の画風の重要な一部は、この場所での厳しくも豊かな修養によって花開いたのです。
35歳の試練命と生き方を見つめ直した「空白のとき」
しかし、心血を注いだ仕事による疲労から体調を崩し、35歳でその職場を去ることになります。医師から勧められたのは、完全な休養と不妊治療でした。
「子どもは自然と授かるもの」と思っていた私にとって、それはどんなに努力を重ねても結果が出ない、心身ともに苦痛に満ちた日々でした。
「あまりにも自分自身の尊厳や心が配慮されていない」
治療を続ける中でそう痛感したある出来事を機に、私は自らの意志で治療を辞める決断をしました。
子どもを持つ人生か、持たない人生か。私はこれからどう生きていくのか。
暗闇の中で、自らの内面とこれまでにないほど深く向き合い、生き方そのものを見つめ直す静かな時間が流れました。
暗闇の中で、自らの内面とこれまでにないほど深く向き合い、生き方そのものを見つめ直す静かな時間が流れました。
何かを手放した先にある、新しい扉
素晴らしいことばかりではない人生の中で、私が心からお伝えしたいことがあります。
私たちは時に思い描いた通りにはいかない現実に直面し、何かを諦めたり、手放したりせざるを得ないことがあります。
しかし、それは決して人生の終わりではなく、新しい扉を開くきっかけにもなり得るのです。
運命の導き手放した先に出会った、かつての夢
これまでのこだわりや常識、執着を一度すべて手放し、「自分の本当の人生を歩もう」とし始めた頃。まるで目に見えない力に導かれるように、一本のお話が舞い込みました。
知人から「子どもたちの絵画教室の講師を引き継いでくれないか」という打診だったのです。
それは、かつて大学時代に私が胸に秘めていた「子どもを相手に絵画教室をしたい」という、あの頃の夢そのものでした。
こうして私は、人生の大きな空白期を経て、再び子どもたちとアートが待つ世界へと、運命に導かれるように一歩を踏み出すことになったのです。

