第2章 社会の理不尽、家族の危機、そして暗闇の中で見つけた一生の財産

社会の理不尽と、突然訪れた「強制終了」
大学卒業後、地元の中学校で臨時講師(非常勤)として働き始めました。
しかし、そこで私を待っていたのは過酷な現実でした。
荒れた学校環境に、10万円に満たない給与。
それにもかかわらず、非常勤の枠を超えた常勤並みの労働を強いられるという、今思えばあまりにも理不尽な労働環境でした。
「自分を犠牲にして働くことが美徳」という当時の社会の風潮もあり、若かった私はその異常さに気づくこともできず、ただ必死に日々をこなしていました。
しかし、心と体はとうに限界を迎えていたのです。
1年が経とうとする頃、原因不明の発熱で突然、体がまったく動かなくなってしまいました。

徹夜の過酷な日々の中で、静かに培われた
「一生の財産」
学校の現場を離れた23歳の私は、タイピストの母の家業の手伝いとして、当時最新鋭だったレーザー電算植字機を使った文書編集の仕事に就きました。
3日間の研修のみであとは教わる人のいない、独習をしながらの仕事。そして当時は仕事がいくらでもありましたが、それは同時に「徹夜をしてでも納期に間に合わせる」という過酷な日々の始まりでもありました。

暗い画面に向かい続ける単調な作業に、当時はなかなか喜びを見出すことができず、心身ともにすり減る毎日。
周囲の友人たちが結婚していく中で、「家族のことを考えると、私は自分の幸せを願っていいのだろうか」と、自分の将来に希望を持てず、まるで暗闇の中にいるような心地でした。
暗闇の時間が、クリエイターとしての
「最大の強み」へ
しかし、この必死だった時間が、のちの私の人生を支える「最大の強み」へと変わっていきます。
ここで徹底的に叩き込まれた組版(レイアウト)の知識は、のちに時代がパソコンへと移行した際にも、私を助ける一生のツールとなりました。

さらに、母と共に自営業の厳しさを肌で味わったことで、「納期を守り、責任を果たす」というクリエイターとして最も大切な信用の土台が築かれたのです。
このとき必要に迫られて身につけた「文章と配置を扱う技術」は、今、私が手がけている絵本制作の現場で、そのまま息づいています。

家族の危機と、限界まで張り詰めた日々
私の表現の根底には、かつて命がけで生き抜いた日々があります。
ある時、父が倒れて麻痺が残り、仕事ができなくなったことで、私たちは主な収入源を失いました。

母と私で必死に家族を支える中、翌年には高校の非常勤講師として3つの学校を掛け持ちし、週に1日は父のリハビリに付き添い、夜には家業の仕事が待っているという、限界まで張り詰めた生活を送っていました。
冬になり、ついに私自身が腎臓の病気を発症して入院することになりましたが、その時の内心は、不謹慎ながらも「これでやっと休める」と、どこかほっとしていたのを覚えています。
非常勤の仕事に喜びも感じていましたが、学校を辞めざるを得なくなり、そこから数年間、家の仕事をしながら療養生活を続けました。